こんにちは、あとりです❤️
京都、『角屋』、「京の夏の旅」に行ってきました。(23年8月23日)
前回からの続きです。
前回は「島原」、「揚屋」、『角屋』について説明しています。
また、拝観入り口から奥座敷「松の間」まで書いています。
ご一緒にご覧ください⤵️
天井板を網代組にしているところから「網代の間」と呼ばれています。
網代と木や竹、草などの植物を薄く加工して編んだものをいいます。
普通の網代は補強のため裏側に板など当てていますが、こちらの網代は頑丈に作られていて、補強がされていないそうです。
奥の棚はとってがなく、開け閉めが出来ない、飾り棚になっています。
「網代の間」の前の坪庭です。
写真右側が「網代の間」です。
玄関から外を眺めました。
台所へ戻ってきました⤵️
【刀たんす】
お客の刀を預かるためのたんすです。
【帳場】
ここでお客さんがどの太夫を呼んだか、何を食べたかなど、記録したそうです。
支払いは「つけ(掛売り)」のみで、年に2回支払ってもらっていたそうです。
揚屋は「一見さんお断り」と、ほかのお客さんの紹介がなければ入れませんでした。
西郷隆盛が『角屋』を訪れた時、行水に使ったたらいです。
戦時中、空襲による延焼を防ぐため『角屋』も取り壊しの対象になりました。
明治維新の元勲たちが使った遺構であるということで、取り壊しはまぬがれました。
【かまど】
【井戸】
【三宝荒神】
台所の神様を祀っています。
【冷蔵所】
【カゴ】
『角屋』は以前、前を通りかかったことがあったのですが、中を拝観したのははじめてでした。
写真撮影は大丈夫だったので、あちこち撮影しました。
普段は「角屋もてなしの文化美術館」として公開されています。
「歴史資料館」のように、いろんな道具がゴタゴタと展示されているのかなぁって思っていましたが、1階の宴会場として使用されていた「松の間」や、「網代の間」、台所が公開されていました。
どこもスッキリと洗練されていて、庭園も美しかったなぁ。
台所もりんとした美しさがあり気持ちがよかったです。
島原の揚屋は母親をもてなすことができる宴会場だったそうですが、それがよく分かる風情でした。
今回は2階は公開されていなかったので、また、予約して2階の各部屋を拝観したいと思っています。
ではこの辺で❣️
最後までお読みいただきましてありがとうございます❤
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