こんにちは、あとりです❤️
京都、『角屋』、「京の夏の旅」に行ってきました。(23年8月23日)
『角屋(すみや)』は、JR丹波口駅、梅小路西駅前から徒歩約7分です。
『角屋』特別公開
23年7月19日~9月14日
拝観料 800円
「松の間」「網代の間」などの1階部分が公開されました。
通常は「角屋もてなし文化美術館」として公開されています。
『角屋』は、花街(かがい)・島原にある揚屋でした。
花街とは歌や舞を伴う遊宴の町のことで、島原の町は江戸中期に「島原歌壇」が形成されるほど、和歌俳諧などの文芸活動が盛んでした。
揚屋は、太夫や芸妓を抱えず、置屋から太夫、芸妓を派遣してもらい遊宴を行いました。
島原は、遊宴の場である揚屋と、揚屋に太夫、芸妓を派遣する置屋からなる「送り込み制」といわれる分業制でした。
拝観出入り口です。
入って右側に拝観受付がありました。
【角屋ののれん】
拝観出入り口を振り返っています。
拝観出入り口を背にして右側に、揚屋時代のお客様の玄関がありました。
建物の中に入りました。
こちらは入ると広い台所になっていました。
入って左側にあったロッカーに荷物を預けました。
1階の奥座敷「松の間」に案内されて、ガイドの方の説明を聞きました。
「松の間」のふすま絵、岸連山筆「桐に鳳凰の図」です。
鳳凰、大好きなんですよね❤️
寛永18年(1641年)、六条三条町から公認の花街として移転しました。
正式名称は「西新屋敷」ですが、移転騒動が島原の乱のようだったことから、島原と呼ばれるようになりました。
『角屋』は島原開設当初から存在し、「揚屋」建築の現存する唯一の遺構で、重要文化財に指定されています。
岸良筆「布袋の図」で、台座や枠は約400年前に琉球王国で作られた琉球螺鈿です。
(螺鈿の写真、もっとしっかり撮っておけばよかった〜😭😭)
文久3年(1863年)、新選組・芹沢鴨が『角屋』で遊宴のあと、壬生の屯所・八木邸に帰宅後暗殺されました。
芹沢鴨の最後の晩餐が『角屋』だったそうです。
【臥龍松(がりょうしょう)】
庭に臥龍松があることから「松の間」と呼ばれています。
松は2代目だそうです。
手前にある建物は、茶室「曲木亭(きょくぼくてい)」です。
その奥は、茅葺きの茶室「清隠斎茶席」です。
屋根の茅をカラスが巣作りで抜きとってしまうため、痛みが激しいそうです。
「青貝の間」の1階部分に茶室「囲の間」があり、全部で3つの茶室があります。
「松の間」も庭園も広く、豪勢でした。
では次回に続きます❣️
最後までお読みいただきましてありがとうございます❤
お気軽にコメントや、ブックマーク、にほんブログ村に応援ポチッとしていただけるとうれしいです。あとり