こんにちは、あとりです❤
20年3月13日
京都、『文子(あやこ)天満宮』に行ってきました。
『文子天満宮』はJR京都駅から徒歩15分程のところにあります。『渉成園(しょうせいえん)』の北西の角のすぐ近くになります。
(多治比の文子)
道真公が大宰府へ左遷された時に、道真公の乳母多治比(たじひ)の文子(あやこ)に形見として、道真公自身で彫られた神像を授与されました。
文子は自宅の庭に小祠(ほこら)を造り、その神像をおまつりしたのが『文子天満宮』の起こりです。
道真公は藤原時平のざん言(悪意を持って目上の人に告げ口をすること)により大宰府に左遷され、その二年後横死(非業の死)しました。
すると時平をはじめ一門が不慮の災いにあい、天候不順による農作物の不作、政治経済の混乱地震災害などが起こりました。
道真公の怨霊の《たたり》だと人々は恐怖におののき、道真公の霊をまつる天神信仰が起こりました。
多治比の文子に、天神となった道真公から右近の馬場(今の北野天満宮)に祠(ほこら)を構えて祀って欲しいというお告げがありました。しかし文子は貧しく社殿を建立することが出来ず、自宅に小さい祠を建てました。
その後、北野天満宮が創建されました。
また後に、道真公が神去された大宰府で、大宰府天満宮が創建され、全国に天神信仰が広がりました。
『文子天満宮』は菅原道真公を天神様として、一番最初におまつりしたので《天神信仰発祥の神社》、また、《北野天満宮の前身神社》といわれています。
(道真公が大宰府へ左遷される時に立ち寄った際、腰掛けた『腰掛石』)
『文子天満宮』は京都のガイドブック(雑誌)には載っていませんが、御朱印の本に載っていたため行ってみました。
『文子天満宮』は、街中にある小さな神社でしたが、《天神信仰発祥の神社》であり、《北野天満宮の前身神社》であるという、由緒ある神社だということが分かりました。
道真公の腰掛石の上のお賽銭が花のかたちに置いてあるのが·····私のツボでした(笑)
御朱印をいただきました。左の文子像の御朱印は書き置きです。(各300円)
ではこの辺で❤
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