こんにちは、あとりです❤️
京都、『旧前川邸東の蔵』(「京の夏の旅」)に行ってきました。(23年8月23日)
『旧前川邸』は、阪急・大宮駅から徒歩約4分です。
「壬生寺」の北東に位置し、徒歩すぐのところにあります。
『旧前川邸東の蔵』
「京都の夏の旅」特別公開
2023年7月8日~9月30日
拝観料 800円
「東の蔵」は通常非公開です。
蔵の勝手口から入り、拝観受付を済ませました。
【西の蔵】
前川家は壬生に10家ほど存在していた「壬生郷土」の1軒で、文久3年(1863年)から約2年間新選組の屯所となりました。
「西の蔵」と「東の蔵」の2つの蔵が並んでいました。
「西の蔵」は天保8年(1837年)に建てられた味噌蔵です。
「西の蔵」の内部は公開されていませんでした。
【東の蔵】
「東の蔵」は天保10年(1839年)に建てられ、貴重品保管庫として使われました。
前川家は、掛屋(かけや)(両替商)を営んでいて、京都御所や京都守護職など公的機関の出納(すいとう)も担当していました。
「西の蔵」と「東の蔵」は同時期に造り始めましたが、「東の蔵」の完成は約2年遅れました。
「東の蔵」は貴重品を保管するため、四重扉など厳重な造りとなっています。
また、蔵の扉の上や、止め瓦に、「三重丸の刻」が入っています。
これは前川家の家紋ではなく、掛屋を営んでいた前川家の御所の出入りのための門鑑の印です。
2021年8月の豪雨によって傷んだ「東の蔵」の屋根の修繕と葺き替え工事が2023年春に終了し、「京の夏の旅」で初公開されました。
「東の蔵」の内部は写真撮影禁止でした。
【「東の蔵」外観】
元治元年(1864年)、「東の蔵」で土方歳三による古高俊太郎への拷問が行われました。
拷問は2階から逆さ吊りにされ、足の甲に五寸釘を打たれ、その釘にロウソクを立て火をつけるという残忍なものでした。
その自白のもとに、新選組が攘夷派の志士を斬殺、捕縛した「池田屋事件」が起こったといわれています。
(「京の夏の旅」公式サイトからお借りしました。)
「東の蔵」に入ると2階から荒縄と滑車が吊るされているのが見えました。
この滑車と荒縄は拷問のために備えつけられたものではなく、元々は1階から2階へ千両箱など重たいものを持ち上げたり降ろしたりするために使われていました。
それを拷問に使用したそうです。
荒縄は新しくなっていますが、滑車は拷問が行われた当時のものだそうです。
「東の蔵」の壁は、外からの火災にも大丈夫なように造られていて、また中からの火災から借用証など重要な書類を守るため、地下に金庫が造られていました。
2階に上がると、薄暗く「ここで拷問が行われたんだ」と背筋が寒くなりました。
古高俊太郎はこの拷問では死ななかったそうです。
刀傷が残っていました。
【旧前川邸】
土日祝のみこちらの土間でオリジナルグッズを販売しています。
向こうに見えている「東の蔵」の手前の空き地は前川家が持っていた土地で、これからマンションが建つそうです。
『旧前川邸東の蔵』は通常非公開で、今回「京の夏の旅」で特別に初公開されたため、「こういう機会はなかなかない❗」と行ってきました。
特に新選組が好きという訳ではないのですが、以前から「新選組が拷問した場所だ」ということは知っていたので、興味津々で行ってきました。
ガイドの方がくわしく説明をしてくれるため、新選組についてあまり知らなくても大丈夫でした。
もう少し新選組について勉強しようかなぁ、って思っています。
ではこの辺で❣️
最後までお読みいただきましてありがとうございます❤
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