こんにちは、あとりです❤
京都、『新選組壬生屯所跡(八木邸)』に行ってきました。
『新選組壬生屯所(みぶとんしょ)跡(八木邸)』は阪急大宮駅から徒歩約10分です。
「壬生寺」に隣接しています。
「公開中」の案内の看板が出ていたので、行ってみました。
現在、八木家は御菓子司「京都鶴屋」を営んでいます。
こちらの「京都鶴屋」で、拝観料1100円を支払いました。八木邸の建物の拝観と、ガイドの説明、抹茶・屯所餅込みの料金でした。
拝観受付の後、15時から集団でガイドが案内してくれるということで、10分ほど待ちました。
写真撮影は長屋門の前までで、八木邸内部は撮影禁止でした。
【長屋門】
幕末の文久3年(1863年)、浪士組(ろうしぐみ)は上洛する将軍の警護のため京都に入っていましたが、尊皇攘夷の大義に賛同して、浪士組の多くは江戸へと引き上げていきました。
近藤勇・土方歳三たちの一派や、水戸の芹沢鴨たちの一派は京都に残り、八木邸を宿所としました。
のちに「新選組」を名乗ることとなり、『八木邸』は新選組発祥の地となりました。
『八木邸』奥座敷で、水戸の一派、芹沢鴨、平山五郎ら4名が、新選組内部抗争で暗殺されました。
暗殺時についた刀の傷が、奥座敷の鴨居に残っています。
慶應3年(1865年)、新選組は西本願寺の太鼓番屋に屯所を移しました。
約3年間、新選組は壬生屯所で過ごしました。
時間になり、ガイドの方に『八木邸』の屋敷の中へ案内されました。
奥座敷に座り、『八木邸』と新選組の関わりや、芹沢鴨暗殺時の様子など、くわしい説明をききました。
新選組の知識があまりない私でも、とてもよく分かる説明でした。
奥座敷は、坪庭の見える、風通しのよい、広い部屋でした。
しかし、ガイドのお話を聞いているうちに、今座っている奥座敷が、芹沢鴨ら4人が斬殺された現場だということが分かりました。
暗殺直後には、壁や床にベッタリと血がついていたそうです。
ガイドの方が、暗殺時について、当時の八木家の奥さんなどの目撃談を混じえてくわしく説明してくれました。
暗殺のあったその部屋で、芹沢鴨達の動きや様子の説明を受け、昔昔の歴史上のお話ではなく、生々しい斬殺現場を見ているような気持ちになりました。
また、鴨居の刀傷や、近藤勇の像も拝観しました。
御菓子司「京都鶴屋」に戻り、抹茶とお菓子・屯所餅をいただきました。
屯所餅のもっちりした皮と、甘すぎない上品なあんが、美味しかったです。
屋敷に案内されてここまで約1時間でした。
歴史が苦手で、新選組についてもあまり興味がなかったのですが、分かりやすい説明を聞いて少しだけど興味が持てました。
『八木邸』は新選組が好きな方にも、新選組に興味がない方にもおすすめです。
「壬生寺」の壬生塚に芹沢鴨など新選組11名の隊士のお墓がありますので、『八木邸』でくわしい説明を聞いてから、「壬生寺」へ行くのをおすすめします。
また、座ってガイドの説明を聞き、抹茶とお菓子がいただけるので、休憩にもなりました。
ではこの辺で❣️
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