こんにちは、あとりです❤️
京都、嵐山、『嵯峨薬師寺』に行ってきました。(22年9月7日)
『嵯峨薬師寺』はバス停・嵯峨釈迦堂前から徒歩約5分です。
【「清凉寺」西門】
『嵯峨薬師寺』は、「清凉寺(嵯峨釈迦堂)」の西門から、境内に入ってすぐ左側にありました。
「清凉寺」西門から見た風景です。
【山門(日月門)】
『薬師寺』は、観光寺院ではなく、通常非公開です。
毎年8月24日、10時~15時のみ本堂が一般公開されます。
山門から境内には入ることが出来ました。
平安時代初期、嵯峨天皇の命により弘法大師(空海)が薬師如来像を造り、安置しました。
『薬師寺』は、嵯峨天皇勅願の寺として大覚寺(嵯峨御所)に保護され、勅封(天皇の命令によって封印されること)の秘仏である御本尊・薬師如来像をお祀りしてきました。
明治時代以降は、大覚寺を離れ、浄土宗知恩院派に属しています。
【三地蔵尊】
境内には、生六道地蔵菩薩像の分身、るり光地蔵菩薩像、夕霧地蔵菩薩像が祀られています。
こちらから、山門を出て、本堂です⤵️
【本堂】
御本尊・心経秘鍵薬師如来像が祀られています。
また、恵心僧都(源伝)が彫った阿弥陀三尊像も伝えられています。
本土向かって左にある「生の六道」の石碑です。
小野篁(たかむら)は毎夜、東山の六道珍皇寺の空井戸から冥土へ行き閻魔大王の下で働き、朝になると嵯峨の福正寺(現在廃寺)の空井戸からこの世に戻っていました。
地獄で亡者を救う地蔵菩薩のお姿を見て、篁は地蔵菩薩像を彫り、冥土の出口である福正寺に祀りました。
冥土からこの世に戻ることを「生まれる」ととらえ「生六道(しょうろくどう)」と呼ばれるようになり、この地蔵菩薩像は「生六道地蔵菩薩」と呼ばれるようになりました。
福正寺は明治時代に廃寺となり、『薬師寺』に合併されました。
なお、福正寺の冥土から戻る空井戸は現在残っていません。
山門の「一般拝観していません」の貼り紙を見て、「ちょっとだけ拝観させてもらおう。」と山門周辺だけ境内に入らせていただきました。
境内は、丁寧にお手入れをされていて、清々しさを感じるお寺でした。
このブログをまとめるにあたり、『薬師寺』について調べてみると歴史やいわれのあるお寺だと分かり、とても面白かったです。
ここら辺に小野篁が冥土から帰る井戸があった場所だったなんて。
でも、嵯峨から東山まで結構距離ありますよね。
夜、東山の井戸から冥土に行きそこで働き、朝嵯峨の井戸から帰って、都で働く・・・。
それを毎日繰り返す。
大変。
大変すぎる。
そういった思いを馳せれる場所でした🤣🤣
またいつか地蔵盆にも行ってみたいと思っています。
ではこの辺で❣️
最後までお読みいただきましてありがとうございます❤
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