こんにちは、あとりです❤️
京都、嵐山、『清凉寺(嵯峨釈迦堂)』に行ってきました。(22年9月7日)
『清凉寺(せいりょうじ)』は、バス停・嵯峨釈迦堂前から徒歩すぐです。
今回は「大覚寺」から歩きました。
【仁王門】
立派な仁王門が出迎えてくれます。
『清凉寺』は「嵯峨釈迦堂」とも呼ばれています。
『清凉寺』は、寬平7年(895年)、源融(みなもとのとおる)の没後、その山荘の棲霞観(せいかかん)に阿弥陀堂を建て、棲霞寺としたのがはじまりです。
源融は、嵯峨天皇第十二皇子で、光源氏のモデルといわれています。
天慶8年(945年)に、新堂を建立し、等身大の釈迦像を安置しました。
これが釈迦堂の名前の由来ともいわれています。
仁王門には阿吽の金剛力士像が安置されていました。
【愛宕権現社】
愛宕権現社は、仁王門を入って右側にあります。
こちらは仁王門入って左側です⤵️
【法然上人像】
【聖徳太子殿(夢殿)】
聖徳太子殿は青もみじの林の奥に、埋もれるようにありました。
紅葉きれいだろうなぁ。
【多宝塔】
実は・・・
多宝塔の背後に源融公の墓があります。
見落としました・・・。
多宝塔向かって、右側から奥に進んで行くそうです。
【奝然(ちょうねん)上人墓】
開山・奝然上人が宋から持ち帰った釈迦像を釈迦堂に祀り、寺名を清凉寺と改称しました。
【嵯峨天皇・檀林皇后宝塔】
多宝塔、奝然上人の墓、嵯峨天皇・檀林皇后宝塔は並んでありました。
ここから本堂向かって左側(西側)の方に向かいます⤵️
【鐘楼】
【狂言堂】
狂言堂では、三大念仏狂言の一つ、嵯峨大念仏狂言が行われます。
嵯峨大念仏狂言は、鎌倉時代、円覚(えんかく)上人が庶民に教義を説くために作られたといわれています。
毎年4月の大念仏会、3月の清凉寺お松明、10月26日の円覚上人の命日、11月の嵐山もみじ祭などでも上演されます。
【聖徳太子殿】
【西門】
西門を入って、すぐ左に「薬師寺」、右側に狂言堂がありました。
昭和55年、大阪城の三の丸跡地の発掘現場から出土した豊臣秀頼公の首を、秀頼公再興の由緒をもつ『清凉寺』に納められたものです。
首に介錯(かいしゃく)の跡があります。
では次回に続きます❣️
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