こんにちは、あとりです❤
21年4月24日
京都、『養源院』に行ってきました。
『養源院』は市バス博物館三十三間堂前バス停から徒歩約3分です。
三十三間堂の東側にあります。
『養源院』は文禄3年(1594年)、豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政の菩提を弔うため、長政の二十一回忌に建立されました。
寺名は長政の法号にちなみます。
その後焼失しましたが、元和7年(1621年)に淀殿の妹で、二代将軍・徳川秀忠の正室・お江が夫に願い、伏見城の遺構を用いて再建されました。
以来、徳川家の菩提所となり、歴代将軍の位牌をまつる寺院となりました。
【参道】
青もみじにおおわれた参道を登っていきます。
本堂(客殿)の廊下の上の天井は全て血天井です。
血天井とは伏見城の戦い(1600年)で豊臣方の軍勢に討ち取られる直前に、自刃した徳川方の兵士らの血で染まった伏見城の廊下の床板を寺の天井に上げて、その霊を弔ったものです。
徳川方の大将であった鳥居元忠公自害の痕と伝わるものも『養源院』に残されています。
この血天井は、お寺の方のくわしい説明を聞きながら拝観することが出来ました。
血の痕は年月と共に黒っぽく変色していて、天井のただのシミのように見えました。
しかし説明を聞きながらよく見ると、手の形がいくつもハッキリ残っていました。
また、大将の鳥居元忠公の痕も、最期がどのような姿だったのか、頭や身体や手足の場所を、お寺の方が天井を棒で指し示しながら説明してくれました。
自刃し倒れた姿のままの黒っぽい人の痕が残っていました。
【やまもも】
【鐘楼】
【拝観入口】
伏見城で自刃した兵士らの霊を慰めるため描かれた、俵屋宗達(たわらやそうたつ)の杉戸絵が残されています。
俵屋宗達の杉戸絵は「白象」、「唐獅子」、「麒麟」などで、特に「白象」は俵屋宗達初期の傑作といわれています。
(俵屋宗達は晩年、「建仁寺」の「風神雷神図」を描きました。)
御朱印をいただきました。
俵屋宗達の杉戸絵の図柄の描き起こしは琳派継承画家・伊藤哲先生によるものです。
杉戸絵「白象」の御朱印です。
象が繊細な切り絵になっています。
この御朱印も素晴らしい❤
杉戸絵などお寺の方のくわしい説明を聞きながら楽しく拝観することが出来ました。
以前通りかかったときに、門の前に「血天井」という看板を見かけましたが、コロナの影響で休業中でした。
また杉戸絵「白象」を見たくて、今回初めて行ってみました。
「血天井」がどんなものか興味本位でしたが、くわしく話を聞いて「血天井」を見ているうちに、多くの人の思いと命がここに凝縮されているように感じました。
平和を願う思いや、命の大切さを私たちも受け継いでいかなくてはならないと感じました。
杉戸絵「白象」や「麒麟」、「唐獅子」も素晴らしかったのですが、「血天井」のインパクトが強すぎ。
ではこの辺で❣️
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