こんにちは、あとりです❤
京都、建仁寺塔頭、『正伝永源院』に行ってきました。(21年11月30日)
『正伝永源院(しょうでんえいげんいん)』は阪急河原町駅から徒歩約7分です。
通常非公開で、特別公開のみ拝観できます。
【山門】
受付は門の手前にありました。
こちらで御朱印もいただきました。
御朱印です。
門を入ってすぐ、右側にあった小さな神社です。
小さな神社のほこらに人形が座っていました・・・不思議。
【織田有楽斎の石塔】
『正伝永源院』は元は正伝院と永源庵の2つのお寺でした。
正伝院は、織田信長の弟・織田有楽斎(うらくさい)長益が再興し、75年の生涯を閉じるまで正伝院で、茶道三昧、悠々自適の生活を送りました。
織田有楽斎の没後400年をむかえます。
【織田長好の石塔】
織田有楽斎ゆかり石塔が、本堂の東に並んでいます。
また、永源庵は細川家の菩提寺として続き、細川家より永源庵に出家するものや住職になるものもいました。
【唐門】
【武野招鴎の供養塔】
本堂前の庭園です。
まず、目につくのは巨大な存在感のある石塔です。
この度、室町・戦国時代の茶人・武野紹鴎(たけのじょうおう)を供養する高さ約6mの石塔がおよそ100年ぶりに『正伝永源院』に戻りました。
供養塔は、武野紹鴎の門人だった今井宗久が1579年に堺に建てました。
紹鴎を茶道の師とあおいでいた織田有楽斎は、1620年頃に正伝院に塔を移しました。
明治初頭の廃仏毀釈で、塔は大正年間に大阪財閥の重鎮だった藤田伝三郎の大阪市内の邸宅に移されました。
この度、藤田家から塔を奉納する意向が示され、21年10月に『正伝永源院』の庭に供養塔がおよそ100年ぶりに移されました。
供養塔は約6mあり、クレーン車で持ち上げられ、設置されました。
元は背の低い石塔が置いてあったそうです。
【茶亭「如庵」】
茶亭「如庵」は、織田有楽斎が正伝院に建てました。
明治の廃仏毀釈の政策によって、正伝院が、永源庵の土地に移り、茶亭「如庵」(国宝)は売却されました。
その後、『正伝永源院』となりました。
現在『正伝永源院』にある茶席「如庵」は、平成8年に復元されたものです。
壁に古い暦を貼っていることから、「暦貼席(こよみばりのせき)」と呼ばれています。
今回茶席「如庵」のそばに行き、内部の壁の古い暦も見ることが出来ました。
【本堂】
お庭も降りてまわることが出来ました。
今回紅葉を見に特別公開に行ってみました。
庭園の紅葉が美しく、人が少なかったため、ゆっくり撮影を楽しみました。
立ち入り禁止の場所もありましたが、庭園に降りて、茶席「如庵」のそばに行き、中をのぞいて見ることも出来ました。
大きな石塔は、庭に馴染んでいるように見えました。
が、移されたばかりで、移ってから初めての特別公開だそうです。
今回初めて『正伝永源院』に行ったため、以前の姿は知らないのですが、石塔があるからこそ庭園に緊張感があり、しまって見える感じでした。
今回この風景が見れて感動しました。
ではこの辺で❣️
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