こんにちは、あとりです❤️
京都、一乗寺、『詩仙堂』に行ってきました。(22年11月18日)
今回は、「叡山電鉄・一乗寺駅」➞「曼殊院」➞「圓光寺」➞「詩仙堂」と歩きました。
【小有洞(しょうゆうどう)(山門)】
『詩仙堂』は正式には詩仙堂丈山寺といい、現在は曹洞宗大本山永平寺の末寺です。
徳川家康の元側近であった石川丈山が、寛永18年(1641年)に隠居所として造営しました。
『詩仙堂』は正しくは凹凸窠(おうとつか)といい、詩仙堂はその一室です。
凹凸窠とはでこぼこした土地に建てた住居という意味です。
【老梅関(ろうばいかん)(中門)】
拝観受付を済ませて、建物内に入りました。
【詩仙の間】
石川丈山は、36人の中国の詩人を選び、その肖像を狩野探幽に描かせ、各詩人の詩を丈山自らが書き、凸凹窠の詩仙の間の四方の壁に掲げました。
これが寺名の由来です。
左甚五郎作、伏見桃山城の欄間です。
書院や、詩仙の間の前に広がる庭園です。
サツキの刈り込みが特徴的な庭園でした。
紅葉が美しく、いっぱい写真を撮りました🤣🤣
ここから建物から出て、庭園を歩きました⤵️
【嘯月楼(しょうげつろう)】
詩仙の間の階上にある楼で、三方に大きく窓が開いています。
内部は非公開です。
【僧都(そうず)】
動く「僧都」⤵️
#京都 #詩仙堂
— あとり♥ (@tenwaneko) 2022年12月3日
「僧都(そうず)」は、石川丈山が考案した「ししおどし」で、庭園にししおどしを最初に取り入れたのは丈山といわれています。 pic.twitter.com/ESUy0D1qaj
石川丈山考案の「僧都(添水)」は、一般には「鹿おどし」のことです。
鹿おどしを最初に庭に取り入れたのは丈山であるといわれています。
庭をまわります。
こちら、下から見上げた紅葉がキレイで、人のいない写真が撮りたかったけど、人がきれず諦めました🤣🤣
【残月軒】
帰り、この門を出る前に、芸人のロザンがテレビの取材に訪れていてロザン2人とカメラマン達の一行とすれ違いました。
御朱印をいただきました。
『詩仙堂』にはずっと行ってみたいと思っていて、「せっかくなので紅葉の時期に行ってみよう❗」と今回はじめて行ってきました。
『詩仙堂』の前に訪れた「圓光寺」がものすごい人だったけど、『詩仙堂』は意外と人が少なく、のんびり紅葉を拝観することが出来ました。
ちょうど建物にかかる紅葉が、真っ赤に色づき、光があたって美しく輝き、建物と紅葉を絡めた写真をたくさんたくさん撮りました。
木造建築物好きにはたまりません❣️
建物内から見る庭園も、庭園の中を歩いて行くのも、どこも美しく感動しました。
土地の高低差を上手に利用していて、見る場所によって全然違う風景に見え、庭園がとても広く感じました。
緑が多く、穏やかな雰囲気に癒されます。
青もみじの時期など違う季節にぜひ行ってみたいお寺になりました❣️
ではこの辺で❣️
最後までお読みいただきましてありがとうございます❤
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