こんにちは、あとりです❤
20年9月29日
京都、『元離宮二条城』に行ってきました。
『二条城』は地下鉄二条城前駅すぐのところにあります。
今回私は阪急大宮駅から歩きました。徒歩約15分でした。
【南門】
地下鉄二条城前駅あたりから見える門です。手前は堀です。
入城券(二ノ丸御殿観覧を含む)1030円
『二条城』は慶長8年(1603年)に徳川家康が京都の宿泊所として築城しました。
当初家康によって建てられたのは現代の二ノ丸に相当する規模でした。
3代将軍家光の時代に天皇の行幸を仰ぐため、大規模な改修が行われ、ほぼ現代の規模が完成しました。
寛永3年(1626年)、徳川秀忠、家光の招きに応じ、後水尾天皇が行幸しました。
行幸を迎えるにあたり、2年前から城を拡張し、天守閣や行幸御殿、本丸御殿なども造営されました。
また、狩野派の障壁画も新たに描かれたといわれています。
慶応3年(1867年)に15代将軍慶喜が二ノ丸御殿の大広間で「大政奉還」の意思を表明し、約265年続いた江戸幕府に幕を降ろしました。
二ノ丸御殿、二ノ丸庭園、唐門など桃山文化の豪華絢爛な遺構を見るのことができます。
【東大手門(重文)】
「東大手門」は『二条城』の正門で、築城時からこの場所にありました。
築城当時は現代のように1階が門、2階が櫓(やぐら)になった「櫓門」でしたが、二条城行幸には天皇を2階から見下ろさないようにとの配慮から、一重の門に立て替えられたといわれています。
「櫓(やぐら)」は「矢倉」とも書くように本来武器庫であり、正面の出格子窓には門に近づいた敵を真上から攻撃するための「石落とし」を備えています。
現代の門は寛文2年(1662年)頃の建築と考えられています。
【番所】
『二条城』は幕府から派遣された武士たちが、宿直・警備していました。
この番所は彼らの詰所の1つで、城内にはこの他、計12棟の番所がありました。しかし、現在残っているのはここだけです。
全国でも番所が残っている城はわずかしかありません。
【東南隅櫓(すみやぐら)】
『二条城』の外堀の四隅は見張り台として隅櫓が建てられ、普段は武器庫として使われていました。内部に火縄をかける釘が打たれており、鉄砲を収納していたことが分かりました。
今ではこの東南隅櫓と西南隅櫓の2棟だけが残っています。
では次回に続きます。
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