こんにちは、あとりです♥️
京都、伏見、『寺田屋』に行ってきました。(24年9月6日)
『寺田屋』は、慶長2年(1597年)、伏見京橋に開かれた船宿で、大阪と京都を結ぶ三十石船を運行していました。
維新当時大変なにぎわいで、薩摩藩の定宿と指定されていて、坂本龍馬も『寺田屋』を定宿としていました。
文久2年(1862年)、尊王派の薩摩藩士たちが幕府を倒すための戦いを起こそうと『寺田屋』で会合を行っていました。その戦いをとめようとした薩摩藩の島津久光(しまづひさみつ)派の藩士らと同士討ちになり、斬合いの末9名の尊王派の志士が犠牲となりました。(「寺田屋騒動」、「寺田屋事件」)
慶応2年(1866年)、『寺田屋』の2階座敷に宿泊していた坂本龍馬が幕吏(ばくり)に襲撃された時、のちに妻となるお龍が入浴中に幕吏に気づき裸で階段をかけのぼり龍馬に知らせ、龍馬は負傷しつつも脱出し薩摩藩に無事保護されたと伝えられています。
こちらから敷地内に無料で入ることがでました。
【お登勢明神】
お登勢は、「寺田屋騒動」で犠牲となった薩摩藩志士(薩摩九烈士)の供養を続け、多くの武士たちを保護、支援しました。
【坂本龍馬の碑】
【寺田屋騒動記念碑(薩摩九烈士碑)】
では次回に続きます❣️
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