こんにちは、あとりです。
21年1月20日
母が突然亡くなりました。
前回からの続きです。
今の気持ちを整理するため、書いています。
私は思い出を忘れやすいので、今の気持ちを忘れないように・・・。
時間をおって書いているため、よかった見てください。
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通夜の夜、私は実家に泊まりました。
実家は、母の日常が時が止まったまま、そのまま残っていました。
弟も、見ると辛くなるから母の部屋もあまり入っていなかったそうです。
(布団の側にあった、母の趣味のパズル)
私も泣けて泣けて仕方ありませんでした。
弟は亡くなった母を発見した夜は、興奮して眠れなかったそうですが、通夜の夜は私がいたため安心して眠れたそうです。
次の日の朝、弟が母の部屋で葬儀屋のメンバーズカードを探していると(6年前に父が亡くなり、その時に会員になっていたため。)、タンスの中から兄弟の思い出の品がたくさん出てきました。
3人兄弟の母子手帳、小学校からの通知表、表彰状、妹の専門学校時代の健康診断も出てきました。
しっかりした母らしく、それぞれの兄弟ごとにまとめられ、きちんと整理されていました。
葬儀が11時からだったため、この時はあまり時間が無く、遺品整理はまた後日ということになりました。
弟は喪主だったので、9時半には会場に入り、妹夫婦と合流しました。
私の旦那も朝一で新幹線に乗って駆けつけてくれました。
母はしっかり者と何度も書いていますが、実家には現金が置いてあって、それで無事に通夜から葬儀、初七日まで行うことができました。
よく考えると私は介護をしたことがありません。
母の母(おばあちゃん)と父は母が介護しました。(私は学生から京都に出ていて、そのまま京都在住の旦那と結婚しました。)
母の死は前日の夜まで普通に元気で、朝起きなかったという「ピンピンコロリ」の亡くなり方でした。
周りのみんなから「そんな亡くなり方、実際にあるんだ・・・。」と言われましたが、実は母の父(おじいちゃん)も、母と同じ亡くなり方で、前の晩まで元気で次の日の朝起きてきませんでした。
だから実家の親族では介護をしたことがありません。
旦那の母は、私と旦那が出会う一ヶ月前に亡くなっていました。わたしは「姑」を知りません。
旦那の父はお元気です。
母と電話でいいから喋りたい。
いいかげんに生きている私を叱ってよ。