こんにちは、あとりです♥️
滋賀県、多賀、『胡宮神社』に行ってきました。(26年3月24日)


『胡宮神社(このみやじんじゃ)』は、近江鉄道多賀線・多賀大社前駅から徒歩約22分です。
「多賀大社」から徒歩約20分です。
『胡宮神社』は、「多賀三社まいり」の一つで、『胡宮神社』「多賀大社」「大滝神社」をまわってお参りすることを「多賀三社まいり」といい、古くからの習わしでした。

裏参道から境内に入りました。


参道向かって左手の土手に、灯籠と「延命福寿」と刻まれた石碑がありました。

参道を進むと鳥居前に、車馬乗り入れを禁じる「下乗石(げじょういし)」がありました。

【境内図】

【蓮池】

『胡宮神社』の背後には標高333m「青龍山(せいりゅうさん)」という山あり、山頂近くに水を生み出す龍神が宿るとされる巨岩の磐座(いわくら)があり、龍神が住まう聖なる山(神体山)として、古くから信仰されてきました。
鳥居をくぐりました。

【歴史民俗資料館】
公開されていないようです。

「敏満寺(びんまんじ)」は平安時代にはじまった天台宗の大寺院です。
戦国時代には「敏満寺城」と呼ばれるお城もありましたが、元亀3年(1572年)、織田信長の襲撃により焼かれ壊滅しました。

【古井戸】
『胡宮神社』は、「敏満寺」の神宮寺(お寺と一体になっていた神社)で、現在の『胡宮神社』の境内付近が「敏満寺」の中心部分であったとされています。
この古井戸は「敏満寺」があった当時のものといわれています。
「敏満寺」が壊滅した翌年の天正元年(1573年)、焼け跡を『胡宮神社』の境内として整備する際に、焼け石や五輪塔をこの井戸に投げ入れたと伝えられています。

【焼け石の塚】
井戸からその石を取り出して造られたのが「焼け石の塚」です。
「敏満寺」の当時の姿を偲ばせる遺物です。

【参道沿いの庭園】

俊乗房重源が奈良「東大寺」再建の総責任者に任命された際、61歳という高齢だったため、延命長寿の神に祈願すると、無事「東大寺」を再建することができたと伝えられています。

【奉送状】

【五輪塔】
重源は「東大寺」を再建するための資金調達に苦心し、「敏満寺」がその事業に積極的に協力したと伝えられ、お礼として五輪塔と仏舎利を寄進しました。
五輪塔は国の重要文化財に指定されており、現物は京都国立博物館に保存されています。
この五輪塔は、現物の2倍の大きさの石造りです。

【大門池、水沼荘】
絵馬堂の奥、庭園から見た風景です。
豊かな水が見えました❗
大門池辺りは水沼荘といい、かつて「東大寺」の荘園(寺社や貴族が財力によって開墾し、自分の領地とした大規模な農園のこと)でした。
「東大寺」の三月堂(法華堂)でで行われる千灯会(せんとうえ)の費用として使われていた歴史があります。

【絵馬堂】

【赤染衛門願文】
絵馬堂に「赤染衛門願文」の説明がありました。
絵馬堂や奥の庭園はきれいに整備されていました。

【手水舎】

石段の上に拝殿が見えています。
こちらをのぼりました。


【拝殿】
拝殿の奥にある本殿には、日本最初の男性と女性の神様、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)と、その子である事勝国勝長狭命(ことかつくにかつながさのみこと)が祀られています。
縁結び、延命長寿、子孫繁栄、五穀豊穣の御利益があるとされ、厚く信仰を集めています。

【唐門】
拝殿向かって右側に唐門がありました。
拝殿向かって左手にある、斉殿へ行きました⤵️

【斉殿】
斎殿の南側です⤵️


「枕石」とは枕にして寝ると延命長寿の御利益が得られるそうです。
、、、どれが「枕石」か分かりませんでした🤣🤣

【寿命石】
斉殿の南側、木々の奥にひっそりと石の柵に囲まれた「寿命石」がありました。
こちらも延命長寿の御利益があります。

【左→本殿、右→拝殿】



【熊野神社】
ご本殿の裏側辺りに「熊野神社」がありました。

【本殿】
では次回に続きます❣️
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