こんにちは、あとりです♥️
滋賀県、『安土城(摠見寺)』「セミナリヨ跡」に行ってきました。(26年2月18日)

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前回からの続きです。
こちらは『安土城』の歴史や、大手道、伝羽柴秀吉邸跡などの写真を載せています。
ご一緒にご覧ください⤵️
【滋賀県】『安土城跡』「摠見寺」 織田信長 - あとりのやっぱり○○が好き❤
こちらは信長公本廟や、本丸跡、天守跡など載せています。
ご一緒にご覧ください。
【滋賀県】『安土城跡』 織田信長 - あとりのやっぱり○○が好き❤
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天主跡、本丸跡、黒金門跡と、来た道を引き返しました。

「伝織田信忠邸跡」の石碑に向かって左側の道、「摠見寺」三重塔、二王門へ向かいました。


26年2月3日~3月19日まで、見学路が一部通行止めになっていて、二王門まで行け、そこから引き返さなくてはならないそうです。

【摠見寺跡】
「摠見寺(そうけんじ)」は天正4年(1576年)、織田信長が安土城築城の際に城内に自らの菩提寺として建てたと伝えられています。

【本堂跡】
「摠見寺」本堂跡です。
天正10年(1582年)の天主崩落の際には「摠見寺」は焼け残りましたが、安政元年(1854年)11月16日に火災により本堂などほとんどが焼失しました。


本堂跡から琵琶湖が見えました❗❗


【三重塔(重要文化財)】
室町時代の建物で、天文24年(1555年)に信長が甲賀の長寿寺から移建したものとされています。



【二王門(重要文化財)】


【金剛力士像(重要文化財)】
二王門、門内に安置されている金剛力士像共に重要文化財です。

二王門あたりから見上げています。
安土山は山全体が国の特別史跡に指定されているため、見学路の石段は危険な箇所であっても安全策を施すことができず、各自自己責任でご入山くださいとのことでした。
見学路の石段は歩幅に合っていない場所、崩れかけていて、整備されていない場所も多く、特に「摠見寺」三重塔と二王門の間は急な勾配で、のぼり降りが大変でした。
歩きやすい服装、靴で、時間や体力に余裕がある時に行かれることをおすすめします。
この日は2月の平日だったため、行き交う観光客も少なく、安土山にはスタッフの方もいないため、充分にお気をつけて歩いてください。

【三重塔】
三重塔まで戻ってきました。

【大手道】
大手道まで戻ってきました。

【大手道】

【受付】
降りてきたのが16時ごろだったため、入山受付は終了していました。



入山受付の時に頼んでいた御朱印をいただきました。
『安土城跡』や織田信長ゆかりの安土巡りは、以前からずっと行ってみたいと思っていました。
『安土城』は石段ののぼり降りが大変で、体力に自信のある方向けです。
急な勾配の野ざらしで整備されていない石段は、ホントにしんどかった。
次の日からしばらくお尻まで筋肉痛でした🤣🤣
『安土城跡』は石垣と「摠見寺」の三重塔、二王門のみしか残っていませんでしたが、説明の看板や石碑があちこちにあり、分かりやすかったです。
『安土城跡』に行かれる前に、「安土城郭資料館」、「安土城天主信長の館」、「安土城考古博物館」に行って予習をしておくと、もっと理解が深まりますよ。
「セミナリヨ跡」まで1日で巡れました。
ここから「セミナリヨ跡」です⤵️

「セミナリヨ跡」はJR安土駅から徒歩約15分です。



織田信長がイタリア人宣教師オルガンチノに新しい埋め立て地を与え、天正9年(1920年)に創建された日本最初のキリシタン神学校の跡地といわれています。
セミナリヨは3階建てで、1階は茶室がついた座敷、2階には神父の居室、3階には教室と生徒の寮がありました。
天正10年(1582年)の本能寺の変の後、安土城炎上と共に焼失、現在は推定地の一部が史跡公園として整備されています。


閑静な住宅街の中にある、小さな公園でした。
ではここまで❣️
最後までお読みいただきましてありがとうございます♥️
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