こんにちは、あとりです❤
京都、西陣、『報恩寺』に「京の冬の旅」に行ってきました。(22年1月17日)
『報恩寺(ほうおんじ)』は地下鉄今出川駅から徒歩約15分です。
【表参道 東門】
門の前の石橋には、橋が架けられた慶長7年(1602年)の年号が刻まれていて、桃山時代の石造美術として有名です。
門の屋根の上の瓦が立派でした。
『報恩寺』は通称「鳴虎(なきとら)」と呼ばれる浄土宗の寺院です。
【政長稲荷大明神】
東門を入って、すぐ右手にあった稲荷社です。
【鐘楼(撞かずの鐘)】
平安時代後期に造られた梵鐘(ぼんしょう)(重要文化財)は、室町幕府管領(かんれい)・畠山持国(はたやまもちくに)が陣鐘に用いたというもので、全面に梵字が刻まれています。
「撞かずの鐘」と呼ばれ、その昔、仲の悪い織屋の丁稚と織子がこの鐘が夕方に何回鳴るか言い争いをしました。
負けた織子が鐘楼で首を吊って亡くなりました。
その後、除夜以外は鐘を撞かず、「撞かずの鐘」と呼ばれるようになりました。
【賓頭盧尊者】
【拝観入口】
【仁王像】
入口向かって右側に、仁王像がありました。
山門が享保15年に延焼(他から火が燃え移ること)した時に、難を逃れた仁王像がお墓の中央に立っていたので「墓飛びの仁王尊」とも呼ばれています。
今回、「第56回 京の冬の旅」に行きました。
受付を済ませ、建物の中に入りました。
【客殿(本堂)】
客殿仏間には鎌倉時代の名仏師・快慶作と伝わる御本尊・阿弥陀三尊像を安置しています。
筑前(福岡)の武将・黒田長政は、入洛した時に『報恩寺』を宿舎としていましたが、元和9年(1623年)、持病によって『報恩寺』滞在中に亡くなりました。
客殿には長政が最期を迎えた部屋があり、長政と、その父・黒田如水(じょすい)(官兵衛)の位牌が安置されています。
客殿前の枯山水庭園です。
今回の「京の冬の旅」では、「鳴虎図」(複製)と室町時代の作といわれる「厨子入木造大黒天立像」(重要文化財)も特別展示されていました。
中国伝来の掛け軸「鳴虎図」は、カササギが2羽とまった松の前で、谷川の水を飲んでいる虎の姿が描かれています。
虎の体毛が1本1本丁寧に、立体的に描きこんであり、12年に1度、寅年の正月三が日のみ一般公開されます。
『報恩寺』の住職が豊臣秀吉の叔父だったため、たびたび寺を訪れていた秀吉が虎の図を気に入り、聚楽第(じゅらくだい)に持ち帰りました。
虎の図を床にかけ楽しみましたが、夜になると虎が鳴いて眠れないため寺に返したと伝えられています。
このことから、「鳴虎」と呼ばれるようになりました。
今回この12年に1度しか公開されない「鳴虎図」をどうしても見たくて行ってきました。
私が行った時は「鳴虎図」の複製でしたが、間近で見ると、毛が丁寧に立体的に描きこまれていて、「夜になると虎が鳴きだすんじゃないの⁉️カササギもギャーギャー、バックでうるさいよね⁉️」って思うほどでした🤣🤣
虎もカササギも生き生きと描かれていました。
大黒天像は、とても小さくて、とてもかわいくて、実は「鳴虎図」よりも感動しました。
ぷくぷくした落っこちそうなほっぺた、大きなお腹、短い手足、赤ちゃんみたいです‼️
その笑顔を見ていると、こっちも自然と笑顔になってしまう愛らしさ。
小さな悩み事も「どうにかなるでしょう‼️」って思わせてくれるぐらい、離れがたいぐらい素晴らしかったぁ❤
私は1人で行きましたが、同じ1人らしき女性と「かわいらしいですね。」って盛り上がりました❣️
建物の外に出ました。
【客殿】
【南門】
【賀陽宮墓】
御朱印をいただきました。
『報恩寺』は見どころてんこ盛りでした。
鐘楼や、庭園、鳴虎図、黒田長政、阿弥陀三尊像も美しかったぁ。
でも、やっぱり大黒天像❣️
1期(22年1月8日~16日)は、「鳴虎図」の原本が展示されていたそうです。
私は2期(22年1月17日~3月18日)に行きました。
2期は、「鳴虎図」は複製ですが、「厨子入木造大黒天立像」が展示されます。
大黒天像は通常博物館に寄託されていて、『報恩寺』での一般公開は初だったそうです。
この大黒天像が見れただけでも『報恩寺』の「京の冬の旅」に行ってよかった❤
そう思えるぐらいひと目ぼれした、かわいらしい像でした。
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