こんにちは、あとりです❤
京都、『積善院凖提堂』に行ってきました。
『積善院凖提堂(しゃくぜんいんじゅんていどう)』はバス停・熊野神社前から徒歩約6分です。
『積善院凖提堂』の道路をはさんだ向かいに「須賀神社・交通神社」があり、すぐのところに「聖護院門跡」がありました。
【行者堂】
【本堂】
『積善院』の創建は鎌倉時代にさかのぼるとされ、聖護院門跡の門跡を代行することもありました。
明治の初めに凖提堂と合併して、『積善院凖提堂』となりました。
本堂には凖提堂の御本尊・凖提観音像と、積善院の御本尊・不動明王像(重要文化財)が安置されています。
毎年2月23日に行われる五大力尊法要は盗難除け、家運繁栄を願う人々で賑わいます。
【崇徳院地蔵(別名 人喰い地蔵)】
境内の西北の隅、本堂に向かって左手の奥に進んだあたりにいらっしゃる、崇徳(すとく)院地蔵、別名、人喰い地蔵です。
崇徳上皇は父・鳥羽上皇に疎まれ、天皇即位後すぐに退位させられ、保元元年(1156年)、保元の乱で後白河天皇に敗れた崇徳上皇は讃岐国(香川県)に流され、亡くなりました。
その後、大火や流行り病、飢饉などが起き、京の町の人々は崇徳上皇の祟りだと考えました。
崇徳院の霊を慰めるために、聖護院の森の中に(現在の京大病院付近といわれています。)、一体のお地蔵さんを祀り、供養しました。
これが「崇徳院地蔵」です。
「すとくいん」が「ひとくい」となまり、別名「人喰い地蔵」と呼ばれるようになりました。
明治13年頃、『積善院凖提堂』境内の現在の場所に移されました。
写真左端にあるのが「崇徳院地蔵」です。
「人喰い地蔵」の説明書きがそばに置いてあって、「人喰い地蔵⁉️なんそれ⁉️妖怪かなにか⁉️」って注目したのですが、ただ単に言葉がなまっただけだったんですね🤣🤣
【お俊伝兵衛恋情塚】
近松門左衛門の浄瑠璃「近頃河原達引(ちかごろかわらのたちひき)」にちなんだ「お俊(しゅん)伝兵衛恋情塚」です。
お俊と伝兵衛が聖護院の森の中で心中をしようとしたことにちなみます。
門を入ってすぐ右側にあった社務所には、御朱印の見本が置いてありましたが、無人で「御用の方はインターフォンを鳴らしてください」と書いてありました。
今回財布の中におカネがなく、泣く泣く御朱印を諦めました。
「人喰い地蔵」の話など、歴史もありとても興味深かったです。
また、次回訪れた時は、御朱印をいただきたいと思っています。
ではこの辺で❣️
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