こんにちは、あとりです❤
21年1月13日
京都、『方広寺』に行ってきました。
私はJR京都駅から他の社寺を拝観しながら、歩きました。
『方広寺』は豊臣秀吉が東大寺を模して建立し、慶長17年(1612年)、息子の秀頼が完成させました。
【鐘楼】
慶長19年(1614年)、豊臣秀頼が亡き父の秀吉の冥福を祈るために造った鐘です。
徳川家康が秀頼に勧めて造らせた鐘で、豊臣家の財力の消耗を狙って勧めたといわれています。
高さ4.2m、外径2.8m、厚さ27cm、重さ82.7tという巨大な鐘で、重要文化財に指定されています。
奈良の東大寺、知恩院、方広寺は「日本三釣鐘」といわれています。
この鐘には「国家安康」、「君臣豊楽」という銘文が刻まれています。
「国家安康」は国家の安泰を願うもの、「君臣豊楽」は君主も臣下も皆豊かで楽しく、という意味になります。
しかし、徳川家康は「国家安康」は家康の文字を二分し呪詛をはかり、「君臣豊楽」は豊臣が君主で豊臣家の繁栄を祈念することだと激怒しました。
その後状況は悪化し、大坂冬の陣で豊臣家は滅亡しました。
徳川家康が言いがかりをつけ激怒したことは、豊臣家を滅亡させる策略だといわれています。
大坂冬の陣の後、この鐘は徳川家より呪いの鐘とされ地面に置いて鳴らなくされていました。
【天井画】
鐘楼が建て直された時に、伏見城の女性の化粧室の天井画が移築されました。
【大黒天堂】
大黒天堂でも花天井画が見られました。
『方広寺』は「京の冬の旅(2021年)」で非公開の文化財を拝観出来ることを楽しみにしていたのですが、今回はコロナ禍で延期となってしまいました。
今回は自由拝観してきました。
『方広寺』は「豊国神社」に隣接しています。
「豊国神社」から拝観していて、隣接しているので、いつの間にか『方広寺』の境内に移動していました。
『方広寺』も「豊国神社」も今回初めて行ったため、『方広寺』の境内にいることにしばらく気づきませんでした。
【方広寺 駐車場】の看板に気づき、ここが「方広寺」だと気づいた時の不思議な感覚(笑)
瞬間移動した人の気持ちが分かりました。(知らんけど(笑))
「豊国神社」には観光客が途切れることなく拝観していましたが、『方広寺』にはあまり人はいませんでした。
私は天井画が大好きなので、鐘楼の天女の天井画や、大黒天堂の花天井画が見れて大興奮でした。
もちろん巨大な鐘も見応えがあります。
境内の奥が駐車場になっていて、本堂の前が車の通り道になっているため、拝観中はお気をつけください。
また「京の冬の旅」が再開したら『方広寺』へ行こうと思っています。
ではこの辺で❣️
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