こんにちは、あとりです❤
20年11月5日
京都 、『六道珍皇寺』に行ってきました。
建仁寺のすぐそばにあります。
『六道珍皇寺』の「六道」とは、生前の善悪の行いによって、死後に行かなくてはならない地獄・飢餓・畜生・修羅・人間・天上の六種の冥界のことです。
平安時代にこの場所が、葬送の地であった鳥辺野の入り口に位置していたため、冥界との境界「六道の辻」と信じられていました。
そのため、毎年8月7日から10日までの4日間は、冥途にも届くといわれる「迎え鐘」を撞(つ)いて、先祖の亡骸・精霊を迎える「六道まいり」の行事でにぎわいます。
今回、「京都非公開文化財特別公開」に合わせて行ってきました。
御本尊は平安時代前期の薬師如来像(重文)で、現在は収蔵庫(薬師堂)に移され、六道まいりと特別公開の期間だけ開扉されます。
【閻魔堂】
閻魔堂内には等身大とされる(186センチ)小野篁(たかむら)立像と、その横には小野篁作と伝わる閻魔大王坐像が安置されています。
【迎え鐘】
今回、「迎え鐘」を鳴らすことができました。
下にある紐?ロープ?を引くと、手前に長く伸びてきて、力を入れて引くと鐘が鳴りました。
低く響く音でした。
「六道の辻」の中心付近とされ、東の結界を示す三界萬霊供養塔です。
【本堂】
【六道の辻の井戸】
平安時代前期、小野篁が昼間は内裏に仕え、夜は冥府の閻魔大王の元に仕えていたという伝説があります。
小野篁は本堂背後の庭園内にある「六道の辻の井戸」を使い、冥途通いをしたといわれています。
また、平成23年に旧境内地から発見された「黄泉がえりの井戸」は冥途からの帰路に使ったと伝わっています。
今回特別公開で、この2つの井戸を間近で見ることができました。
なお写真撮影は本堂の縁側からお庭のみ許可されていました。
そのため「黄泉がえりの井戸」は「六道の辻の井戸」の奥にあったため、写真撮影出来ませんでした。
「黄泉がえりの井戸」はこの写真の竹の衝立の奥(右手奥)にありました。
手前の「六道の辻の井戸」の中はシダなど植物が生えていました。
奥の「黄泉がえりの井戸」は電飾で井戸の奥が明かりで照らされていましたが、どこまでが底なのか分からないくらい深い井戸でした。
こんな深い井戸の中から、冥途から帰って来ていたのでしょうか?
すごいよ、小野篁。
【猿の木像】
本堂の廊下に祀られた猿の木像。
平安京では鬼門を重要視していて、都の鬼門「北東」に位置する場所に多くの寺院・神社を建立し、鬼門除けのまじないとして「猿」の像を置いたりもしました。
これは猿の姿を写した像「真猿(まさる)」を語呂合わせで「魔去る」と読ませ、邪気、悪鬼を払う神聖な動物、神の使いとして方位を守護する動物としたといわれています。
御朱印帳は閻魔大王と小野篁の2種類ありましたが、閻魔大王は他のお寺でも見かけるので、『六道珍皇寺』らしい小野篁の御朱印帳にしました。
でもこの御朱印帳、「このおっさん、誰?」って感じですよね(笑)
以前からずっと『六道珍皇寺』に行ってみたかったのですが、井戸の拝観は予約か、特別公開のみでしか間近で見られないそうです。
そのため、今回「京都非公開文化財特別公開」に合わせて行ってみました。
現世と冥界の接点「六道の辻」、冥途を行き来する井戸・・・ということでもっとおどろおどろしい雰囲気を想像していたのですが、朝9時過ぎに訪れたためが、そんなことはありませんでした(笑)
庭園もとてもキレイに手入れをされていて、清々しいくらいでした。
「猿の木像」はガイドの方に教えていただきました。「猿」の下の縁側を通ったのですが、屋根に近い上側に安置していたため、まったく気づきませんでした。
ガイドの方にいろいろと教えていただき、おしゃべりをして楽しく過ごせました。
ではこの辺で❣️
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