こんにちは、あとりです❤
20年2月26日
『圓徳院』は豊臣秀吉の没後、その妻、北政所ねねは高台寺建立を発願し、東山に移り住みました。そのねねを支えていたのが兄の木下家定とその次男利房でした。圓徳院は利房によって、木下家の菩提寺として開かれました。
(パンフレットです。襖絵)
(南庭)
(北庭(国の名勝に指定))
北庭はもともと伏見城の北政所化粧御殿の前庭を移したもので、当時の原型をほぼそのままに留める桃山時代の代表的な庭園です。
池泉回遊式庭園ですが枯山水となっています。
巨岩など、約200この石が置かれています。
御朱印をいただきました。
左は「三面大黒天」の御朱印です。
「三面大黒天」は豊臣秀吉が念持仏としたといわれる尊像で、秀吉の出世守本尊です。
三面大黒天とは、大黒天、毘沙門天、弁財天の三大合体の霊像です。
(高台寺掌(しょう)美術館)
『圓徳院』は北庭近くの襖絵が素晴らしかったです。
ハスの葉と花が描かれた襖絵で、ハスの葉は墨で描かれていて、ハスの花は色がつけられていました。墨で描かれたハスの葉のなかに、白く透き通るようなハスの花が咲いていて、なんでもない風景なのにハッとするほど美しかったです。
あえてハスの葉を墨で描いているところが、ハスの花の美しさ、透明感を際立たせていて、素晴らしかった。
この襖絵から離れがたいほどの、衝撃でした。
北庭の巨石がたくさんあるお庭もステキでした。
朝からどんよりくもっていたのですが、北庭を鑑賞しているころから晴れてきて青空がでてきました。
久しぶりに青空の写真が撮れてうれしかったです。
襖絵といい、庭園といい、最近の京都観光の中で『圓徳院』が私の中で高評価です❤
ではこの辺で❤
最後までお読みいただきましてありがとうございます❤
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